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N-Caster:名古屋

2011
02/23

先生は外交官!?外国語学部 石田先生紹介!

こんにちは,経済学部のやっしぃです

今日は外国語学部【国際政治学】石田訓夫先生のお話です。
この先生,ただ者じゃない!
なにせ現役の外務省職員で,日本の外交官として世界各国を飛び回り
教科書の中の出来事をまさに目の前で見てこられた先生です
国際社会で活躍したい人は必見です!

ishida_sensei.jpg ――先生の担当されている「国際政治学」はどのような講義ですか?
「【歴史(国際政治史)】【理論】【現実の動き】の3つの視点から,
『国際社会がどのように動いていて』,『世界はどのように変化していくのか
』,
そして『自分はどう関わっているのか』を考える講義です。」

――「国際政治学」の魅力はなんですか?
グローバルな視点から物事を考えることですね。
特に私は中東(イスラエル・パレスチナ)が専門ですから,
中東を中心に置いて物事を考えるようにしています。

中東は欧米にとっては近い地域であり,一番の関心事ですが,
日本人からすると地理的にも文化的にも,とても遠く感じますよね
複雑すぎて理解できない私は逆に,だからこそ興味を持って研究しています。」

――中東を究めていこうと思った理由は何ですか?
 「アメリカのことは情報も多いですから,学生時代に勉強すれば理解できる世界です。
しかし中東は,ある日突然戦争が起きるという世界で,正直よく分かりませんでした
だから,知りたいと思ったのです。日本人にはなかなか理解されていないのが現状ですが,
国際政治の世界では非常に重要ですから,とても意義があるんです。」


「中東専門家」への軌跡
――なぜ外務省に入ろうと思ったのですか?
「大学3年生になったときに,将来なにをやろうかと考えたんですね。
まず民間企業に入る気はなかった。研究者は良いなと思いましたが,
本を読んで机上で考えるだけでは実体が伴いません。

ですから,まず【国際政治】を実際に現場で体験するところから始めて
それで考えたいと思いました。」

「それで外務省の受験案内書を読んだら,
特定の地域言語の専門家になるために外務省の負担で2年間,
語学研修生として外国の大学で給料をもらって勉強させてくれる
と書いてあったんです。
このメリットと問題意識の2つで興味を持ちました。
私は中東ではアラビア語を希望していたのですが,
結局,イスラエルで使われている『ヘブライ語』になりました。」

――イスラエルではどのような仕事をなさったのですか?
「2年の語学研修が終わってから,イスラエル大使館で3年半仕事をしました
大使館には【政務】【経済】【広報・文化】【領事】【会計・官房】などの仕事がありますが,
私は最初から【政務】を担当することが出来ました。
ヘブライ語が専門ということで駆け出しの頃から大使や公使と一緒に動いたり,
イスラエル、パレスチナの情報収集をしたり……
国際政治の舞台に関われたわけですから,とてもラッキーでした。
同時に、館内の仕事は何でもこなしました。


活動の場は中東から全世界へ
――その後東京に戻られたわけですね。
「東京では『中近東第一課
(中東地中海沿岸部地域や北アフリカ地域を担当する部署)に配属された後,
当時の『国連局政治課』で国連の中東問題を担当しました。」

「その後は,1983年にロサンゼルス総領事館に配属になりました。
ちょうど1984年のロス五輪の時期でしたから,オリンピック関連の仕事を多く手掛けました
五輪組織委員会と日本政府間の連絡役,日本選手団の受け入れ,
現地の日系人/日本人社会との連絡などなど。
選手村や競技場など,どこでも入れるIDカードももらいましたよ(笑)。」

「とても楽しかったです。もっと長くいたかったのですが,
2年で終わってしまいました。
そのあと,その頃生まれたばかりの子どもを連れて2度目のイスラエル行きでした。
その頃ちょうど最初のパレスチナ『インティファーダ』(民衆蜂起)が起きました。

私は【広報・文化】中心に3年半ほど仕事をしました。
特殊語(通常その国一国でしか話されていない言語)を専門にしている職員は数が限られているため,
どうしてもその国の滞在が長くなります。」

「その後,1989年に東京へ戻ってOECD(経済開発協力機構)という国際機関の仕事を担当することになりました。
全くの門外漢だった経済(多国籍企業の行動規範づくり)の交渉を1人で担当することになってしまい……
OECDの会議では英語で多国間の交渉をして,東京では各省庁と日本政府の意見を調整することになりました。
1年間で12回もパリ(OECD本部)へ出張しましたから激務でした。
外務省では何らかの仕事を担当するとなると,その仕事は全部自分一人で担当することになるんです

ですから充実感はありましたね。」


教科書の中の出来事――目の前で動く『歴史』に立ち会う
――外務省での仕事で一番記憶に残っているのはなんですか?
「中東問題を扱っていると,やはり『戦争』がキーワードになります。
1973年、最初に語学研修でイスラエルへ行って3ヶ月目に第4次中東戦争が始まりました。
これは全く想定外で,衝撃を受けました。これが私の,中東問題に関わる上での出発点になっています。」

 「その後1990年代にラビン首相の下で中東和平交渉が動き出したときに,
これで解決できるのかなと希望を持ち,仕事にも力が入りました

1993年9月、ワシントンでラビン首相とアラファトPLO議長との間で『オスロ合意』が結ばれたときには、
外務大臣と一緒にホワイトハウスの調印式典へ行って,中庭で見ていたのです
暑い日でした。

ラビン首相とアラファト議長がクリントン大統領とともにホワイトハウスから前庭へ現れると、
参列者が総立ちになり、何も見えなくなりました。」

 「1995年に村山富市総理が中東へ訪問した際には政府専用機で同行し、
総理がイスラエルを初めて訪問する機会に立会いましたが

その直後に,中東和平を推し進めていたイスラエルのラビン首相が暗殺されてしまいました
希望が大きかっただけに,たいへんなショックでした。」


大切なのは「発信力」
――世界を舞台に活躍するために,重要なことは何でしょうか
「重要なのは2つ。一つは『自分をいかに表現するか』。
もう一つは『[言語]と同時に[文化]を勉強する』ということですね。」

・自分をいかに表現するか
大事なことは,いろいろ違う文化・考え方を持った人と付き合う世界である,
ということなんです

そこでいかに自分を表現するか,ここから相手とのコミュニケーションが始まるわけです。
 日本人同士だととかく『言わなくても解かる』関係で、出しゃばりは禁物ですが,
世界で働く際には黙っていると、『この人は何も考えていない』と見なされてしまい、
コミュニケーションの輪から外されて無視される。

これは怖いことで、それでは仕事が出来ないわけですから,
自分のパーソナリティをいかに出すかを考えて,
どうやったら相手に興味を持ってもらうか,
分かってもらうかを一番考えなければいけないですね

外国で生活しているとそれは当たり前の事なのです。
日本社会でそういうことをすると奇異な目で見られてしまいますが,
このグローバル社会での人との接し方は、
本来は日頃から鍛えておかなければいけない課題ですね
。」


 ・[言語]と同時に[文化]を勉強する
 「例えばヘブライ語の背景にはユダヤ文化がある。
その後ろには旧約聖書の世界がある。
その全てを勉強するのはとても難しいですが,
文化まで勉強しないと語学の背景にあるところの本当の意味がわからないです

それだから語学研修は、学校だけでなく相手の社会の中で勉強していくということですね。」


――最後に,読者の皆さんに向けてメッセージをお願いします。
国際社会に目を向けるには南山大学は非常に良い環境だと思います
ですから常日頃から【国際社会】を意識して学ばないともったいないと思うのです。
例えば授業で疑問に思うことを積極的に発言したりする
『待っていれば先生が話してくれるだろう』という受け身の姿勢では,
国際社会に目を開く大きな機会を失ってしまうことになります。
自分の心がけ次第でチャンスは大きく広がります。」

 

みなさん,石田先生のお話はいかがでしたでしょうか?
国際社会で活躍するためにはたくさんの勉強が必要になりますが,
明日からできるヒントをもらいました。
積極性」です。これは今日明日からできることですから,
みなさんバリバリ行動していきましょう!

以上,やっしぃでした!
 

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